タイ南部のセキュリティリスク:由来から現状

タイ南部のセキュリティリスク:由来から現状

タイ南部のセキュリティリスク:由来から現状 1200 675 Blackpeak

要旨

タイ深南部の叛乱組織はタイ政府からのさらなる譲歩を得るため、引き続き暴力事件を引き起こす可能性がある。それに対して政府が叛乱者への抑制を強めれば、叛乱者のさらなる暴力的な反発を招き、2000年代のように収拾不可の状況がエスカレートするだろう。叛乱者は新しい民主政府が真剣に会話に取り組むのを促すためあるいは会話の進行に不満を感じたためさらなる暴力事件を犯すことも考えられる。交渉までに手段は見当たらず、紛争は行き詰まるだろう。

 

タイ深南部におけるビジネスリスク

タイ深南部に投資を検討する実業家は以下のリスクに注意を払うべきである:

  • 現地職員及び顧客、特に仏教徒に対する攻撃
  • 頻繁に利用される主要インフラ施設、商業施設、空港、銀行と他の公共施設の破壊
  • タイ南部の主要観光地に対する攻撃
  • 政府と叛乱組織の会話の結果で突如変化する政策とその変化による商業環境の悪化
  • 叛乱組織との商業的取引の疑いで政府機関による取り締まり
  • 経営地域に位置する村落や都市における叛乱組織の継続的な政治影響力

リスクの由来に関する具体的な説明は以下の各セクションはご覧ください。

 

概要

マレージアに接する、タイ深南部の主にマレー語系自治体であるヤラー県、パッタニ県、ナラティワート県及びソンクラー県の一部では1950年代から長期的な叛乱が起きている。マレー国家主義者が「パッタニ」と呼ぶこの深南部地域は1909年にシャム王国に植民された元マレースルタン国だ。この衝突は歴史上の苦情及びイデオロギーの違いで時々浮上する。2004年には暴動が増加し、主に民間人7000人以上がこの民族と宗教の境地域で死亡している。2014年からは暴力事件が減少しているものの、衝突がエスカレートする可能性はまだ残っている。しかし、この地域における海外投資者は攻撃のターゲットになっていないため、彼らへのリスクは限定されている。

 

衝突の源

この衝突は当地域の複雑な植民史に由来する。現在のタイ深南部の各自治体は15から18世紀、イスラム教マレー系のパッタニスルタン国の一部であった。当国は18世紀末の戦争でシャム王国に破れ、その領土はその後の一世紀、シャムが支配した。1909年シャムとイギリスが結んだ条約で、当時マレーシアを支配していたイギリスはシャムのパッタニ統治を認め、マレーシアとシャムの国境を明確化した。当時のシャム政府はパッタニにおけるイスラム法の使用を制限したが、マレー系住民の家庭及び資産継承問題には適用されることにした。

しかし、1932年の軍事クーデター以降、新政府は「タイ」のアイデンティティーで国を統一する方針を打ち出した。方針の一部として、イスラム文化及びマレー方言を野蛮と見出し、イスラム法と伝統をさらに制限する「現代化プログラム」を開始した。このプログラムはタイ深南部住民の深刻な不満を引き起こし、分離主義運動が第二次世界大戦後に始まるきっかけとなった。

 

初期分離主義運動と政府の反応

タイ深南部における最初の分離主義運動は1960年代初めに現れたが、タイ軍隊にすぐ抑制された。しかし、パッタニ・マレー民族革命戦線(BRN)及びパッタニ統一解放機構(PULO)などの新しい組織が発足し、今でも活動中である。BRNは元々イスラム学校の世俗化に反対する教師と学生により設立され、1980年代に穏健派イスラム社会主義者と過激派サラフィストの論争によりいくつかの分派に分裂する前は20年間、爆破と拉致を繰り返していた。その分派の一つで現在当地域にて最も顕著な組織はパッタニ・マレー民族革命戦線コーディネート派(BRN-Coordinate)である。

PULOは1968年、当地域出身の海外留学生が設立し、当地域で最も規模と影響力が大きく、継続的な叛乱運動の一つである。PULOはタイ深南部の政治的組織に力を入れ、より小規模な軍事団体の叛乱活動をコーディネートしていた。PULOの指導層はマレーシア及び中東で広く国際関係を構築・維持し、海外からの資金調達、そして物流と政治的サポートを得ることができた。しかし、1990年代になると「新PULO」と自称する過激派組織がよりアグレシッブな攻撃を実施するようになると、PULOから分裂した。

拡大する叛乱を抑制するため、タイ政府はマレーシア及びサウジアラビア、シリア、リビアなどの中東各国に軍事訓練と資金調達を取り締めるよう圧力をかけ、安全政策と現地の統治を改善するため、1981年に南部国境自治体行政センター(SBPAC)を設立した。タイ政府はさらに叛乱者に対する恩赦プログラムを設け、叛乱組織にプレッシャーを与えた。PULO、新PULO及びBRNはプレッシャーに応じるため、1997年にいくつかの暴力事件を連携させ、深刻な経済的被害及び大量な死者を出す惨事を起こした。これらの事件はタイ政府のさらなる抑制を誘発し、PULOと新PULOの主な指導者は1998年に逮捕され、運動自体も著しく衰退した。

2000年代の暴力の復活

2001年のThaksin Shinawatraの首相誕生は衝突の転機となった。Thaksinは2002年にSBPACと重要な軍隊、民間及び警察の連合作戦組織であるセンター43を解体し、その安全対策責任を警察に移譲した。タイ深南部住民の中で過酷な戦術で知られる警察に対する不満は多く、1997年から継続していた平和は2004年から2007年まで増加する暴力事件により崩壊した。ある地域政治専門家によると、「一つの事件は強い反応により次の事件を起こし、さらに次の事件を起こした。ひどい虐殺はたくさんあって、それはさらに物事を悪化させた。」

この何年間、当地域は暗殺、走行中の車からの射撃、放火及び爆破に見舞われ、三分の二が民間人である2566人が死亡した。攻撃には2015年のソンクラー県のホテル、スーパーマーケット及びハートヤイ国際空港の爆破、そして2006年ヤラー県の22ヶ所の商業銀行の爆破を含む。大部分の攻撃は初期分離主義組織の元メンバーで、BRN-Nationalが率いる新しい分散型構造の参加者がコーディネートした。BRNはイスラム学校の若い学生を採用と教化し、独立行動する小規模な軍事団体を各村落に設立した。これらの軍事団体は村落の指導者に暴力を脅かすことによって現地の政治を影響した。

BRNはタイの国家権力を象徴する建物をターゲットにしていたが、イスラム武装組織「ルンダ・クンプーラン・クチル」(RKK)などより暴力的な分派は仏教徒及びカジノやカラオケなどの西洋と世俗の象徴である建物も攻撃するようになった。しかし、イスラム国やアルカイダなどのイスラム系テロ組織と幅広い関係を示す証拠はない

 

初期の平和会談

増加する暴力事件に対してタイ政府は軍事的な取り締まりを強め、Thaksinは2005年に軍隊と警察に叛乱容疑者を居留と検問するより大きい権利を与える緊急命令を発令した。しかし、Thaksinは2006年のクーデターでタイから追放され、軍隊司令官Surayud Chulanotが率いる新政府は深南部国境地帯での政策がよく機能していないと認識していた。Surayudはアグレシッブな軍事活動を継続すると同時に、何人かの元PULOメンバーとの秘密会談を始め、SBPACを再導入した。彼の行動と南部住民に対する過激的な政策に関しての謝罪は暴力を減少させることに成功した。しかし、Surayudは2008年に退任し、彼を継いだいくつかの政権は2011年Thaksinの妹であるYingluck Shinawatraの首相就任まで深南部地域における政策の一貫性がなかった。

Yingluckは、ある軍隊司令官曰く、「老人」である分離主義者との非公式で秘密の会談は不十分であることを認識し、政府はより大幅な譲歩とより堅牢なプロセスを提供するべきだと主張した。2013年2月、政府は正式な会話プロセスを開始すると発表したが、元軍隊司令長官で現首相のPrayuth Chan-o-chaを含む主なタイ政権人物は譲歩と自治権を深南部に与えることが正式的な独立とタイの国家的分裂につながると恐れ、そのプロセスに強く反対した。2013年8月、BRNは政府側が当組織を分離運動ではなく解放運動だとの認定と投獄されたBRNメンバーの釈放などの要求を拒否したため、会話を放棄すると発表した。

2014年、Yingluckは兄と同じくクーデターで追放され、Prayuthは直接権利を握ることになった。Prayuthは深南部地域での高度な安全対策を維持すると同時に会話を取りやめた。新政策として、「人達を家に帰らせよう」という部分的な恩赦プログラムを導入し、叛乱者が社会に再融合できるよう、軍隊関係の就職機会を提供した。このプログラムはBRNメンバーからかなりの懐疑で見られている。

 

現状:不安な行き詰まり

大方、平和と安定は維持されているものの、Surayudの初期会談とYingluckのより大規模な努力により築かれた平和は徐々に崩壊している。政府は2016年と2017年、MARAパッタニという統括組織の代表と新たな会話を行なった。MARAパッタニは2015年に政府との会話を賛成するBRNメンバーにより設立され、より効率的で統一された交渉戦略を望むBRN-Coordinate、PULO及び他の小規模組織の元メンバーを含む。しかし、叛乱運動全体におけるMARAパッタニの影響力は不明で、政府側と他の叛乱組織はMARAパッタニが主張するより実質的かつ協調的な討論を望む気配がない。

タイの現軍事政権はより正式な交渉プロセスでBRNを正当化する価値を感じなく、BRNにとってはより穏健だと思われる新たな民主政権の誕生を待つのが有利である。この現状により、軍隊とBRNの仲介役を果たす現地の学者によると、現在交渉プロセスは「全然進んでいない。」しかし、その同時に、叛乱者は政府側のより強力な弾圧を避けられると信じ、大規模な攻撃を実施していない。

 

タイ深南部での暴力事件の可能性

2016年8月にはホアヒンとプーケットなど、分離主義者の拠点外で、人気観光地であるターゲットがいくつかの爆破に遭い、4人が死亡し、10人の外国人を含む35人が負傷した。叛乱組織はこれらの爆破の責任を取らなかった。警察側も何人かの容疑者を逮捕したが、叛乱者が爆破を起こした可能性を否定し、加害者の名前を挙げなかった。政府側は叛乱者が人気観光地をターゲットにできることを認めないと同時に、叛乱者もこのようなターゲットを回避しているのも確かだ。

事実上、ここ数年で唯一同様な事件である2017年5月、80人が負傷したBig Cスーパーマーケットの爆破も叛乱組織の指導層に批判された。ある叛乱者と深い関係を持つ研究者によると、叛乱組織は「外国人をターゲットにする考えがない」と述べている。しかし、RKKなどのより過激派な組織は警察や軍隊の行動の報復として仏教徒をターゲットにしたこともある。

だが、セキュリティーリスクはまだある。叛乱者は外国人投資者を攻撃することに興味がないが、重要なインフラ施設、商業施設、空港、銀行及び他の公共施設などをターゲットにする能力を十分発揮している。「悪い時間で悪い場所にいる」リスクは極めて高い。暴力事件は企業が依存する電力や他のインフラを破壊することがあり、叛乱者がより大規模で顕著な攻撃によって衝突をエスカレートさせることでリスクがさらに増加する可能性もある。

図1:2001年〜2017年のタイ南部の事件及び死亡人数

図2:地域地図

参考文献:

The Terrorist Threat from Thailand: Jihad Or Quest for Justice?, Arabinda Acharya & Rohan Gunaratna, Potomac Books, 2013.

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